2010年07月29日
めざす先は、“Beyond the scope”。
生まれ変わっても脳神経外科医。(4)
自ら社会に役立てる人間にならないと
示しがつかない
2006年2月、東京大学助教授のころに聴神経腫瘍の手術を行う
取材の帰り際に、父親の商売の内容を尋ねた。小学校6年生の息子に医学生がつくるようなプラモデルを買い与えた父。どんな人物だったのかを聞かねば、森田氏の真実の姿が見えないと思ったからだ。取材途中にも質問したが、なんとなくはぐらかされてしまっていた。
失礼だとは思ったが、惚れた一心、森田氏を知りたい一心で、勇気を振り絞って質問した。「ところで、お父様は、どんなご商売をされていたのですか?」。森田氏は、ちょっと戸惑いつつ「金属関係の商売です」と答えたきり、あとに言葉はなかった。
数日後、森田氏から取材に対する丁寧なお礼のメールが届いた。
2010年の新春に、今いるNTT東日本関東病院の仲間たちと
ーー自分のまだ何も成し遂げられていない人生で、常にめざしていることといえば、「見えないところまで夢を持ちつづけること。"Beyond the scope"という考え」、「決められた枠にとらわれないこと」です。それが、うまく伝われば良いと思っております。

Dr. Sundtから贈られたサイン入りの脳血管外科の著書
ただ、ひとつ、とても恥ずかしく感じたのは、父の商売のことを聞かれたときに、なんとなくぼかして言う自分がいたことです。自分を育てた元をぼかすのは、自分をぼかすのと同じだと思います。よく言う、「天に唾する」ですね。
父は慶應大学を卒業して、防府のカネボウに入社したのですが、退職し、自宅の家業であった織物工場を始めました。それが繊維不況のあおりを受けてうまくいかなくなり、当時の建築ブームに乗って、主に建築資材を扱う金物業を始めました。同時に、我々の教育のためにいろいろな兼業ーー土地があったので、アパート経営やNTTの会社の寮などをやっておりました。昔は、父の配達の車に乗るのが好きでした。ほこり臭くて、少し金属と油の臭いがしました。
我々姉弟にはいつも「手に職!」と言い、いろいろなアイデアを持って生きていた父でしたが、私がアメリカに留学中の13年前に若年性アルツハイマーにかかり他界しました。その父の年齢まであと10年少々しかありません。昨日はお話のあと、そんなことを思い出していました。
いずれにしても、自ら社会に役立てる人間にならないと、懸命に育ててくれた父に示しがつきません。過去と足元を見て、遠くを見て、そして、その先を夢見ることを大切にしていきたいと思いますーー
人は「見えるから」なんとか夢を見つづけられる。けれど、森田氏は「見えないところまで夢を持ちつづける」と言う。我々は、惚れる相手を間違えてはいなかった。
記事提供:株式会社メディカル・プリンシプル社
2010年4月号より
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- 森田 明夫 (もりた・あきお)
- NTT東日本関東病院脳神経外科部長/脳卒中センター長
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1978年 東京大学医学部医学科入学 1982年 東京大学医学部医学科卒業
東京大学医学部附属病院脳神経外科入局
国立病院医療センター脳神経外科研修医1983年 東京大学医学部附属病院脳神経外科研修医
広島県福山市新市町寺岡記念病院脳神経外科1984年 三井記念病院脳神経外科 1987年 静岡県富士宮市富士脳障害研究所附属病院脳神経外科 1988年 東京都立神経病院脳神経外科
ECFMG certificate取得
日本脳神経外科学会専門医取得1989年 アメリカミネソタ州ロチェスター市メイヨークリニックへ臨床フェローとして留学 1990年 アメリカ連邦医師資格試験合格 1991年 メイヨークリニック脳神経外科レジデント
アメリカミネソタ州医師免許取得1995年 アメリカワシントン地区ジョージ・ワシントン大学脳神経外科頭蓋底外科フェロー(インストラクター) 1996年 メイヨークリニック脳神経外科チーフレシデント 1997年 広島県福山市新市町寺岡記念病院脳神経外科部長
アメリカワシントン地区ジョージ・ワシントン大学医学部脳神経外科Assistant Professor(講師)
ドイツマインツ大学脳神経外科Visiting Cli-nician for Minimally Invasive and Endo-scope Assisted Neurosurgery1998年 アメリカメリーランド大学脳神経外科Clini-cal Assistant Professor兼任
東京大学脳神経外科講師2001年 東京大学脳神経外科助教授 2006年 NTT東日本関東病院脳神経外科部長/脳卒中センター長
東京大学非常勤講師


