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震災では持ち前の行動力を発揮
「Do & Think. まずは実行だ」(2)
常にカッティングエッジを走っていなければ
自分たちの役目を果たせない
出雲にて祖母せつと(大学2年生)
亀田隆明氏は、日本医大を卒業後、順天堂大学医学部胸部外科教室大学院に入る。そこで出会ったのが、鈴木章夫教授(当時)だった。 鈴木章夫氏は、東京医科歯科大学医学部を卒業後、長い間、米国で診療・研究活動を行い、心臓の人工弁手術、バイパス手術の権威でもあった。ミシシッピー大学医学部から、1974年に教授として順天堂大学に迎えられ、83年に鈴木氏の母校である東京医科歯科大学胸部外科教室の初代教授になる。その後、同大学附属病院長、医学部部長などを歴任。
95年からは5期にわたり、08年まで同大学学長を務めていたが、昨年10月28日に急性虚血性疾患のため帰らぬ人となった。享年80歳だった。
「順天堂病院に米国から新進気鋭の心臓外科医が来ている、という話を聞きつけ、そこで習えば、将来、自分の病院にも心臓血管外科がつくれるなと思いました。それが、鈴木章夫先生でした。人生で圧倒的に大きな影響を受けたのも、鈴木先生でした。83年に、鈴木先生が東京医科歯科大学に教授として移られるというタイミングで、私は亀田に戻ることにしました。その時、鈴木先生の了解を得て、当時は順天堂にしかいなかった、人工心肺を扱える技士やICUや循環器専門看護師といった優秀なスタッフを亀田に招聘しました。こうして心臓外科手術ができる環境をお膳立てしたうえで、米国マイアミ大学セダースメディカルセンターにいた外山雅章氏に心臓外科部長として就任して頂きました」
家族写真[左から長男、次男、三男、妻、長女と]
亀田総合病院に心臓血管外科をつくった理由については、「鴨川という場所で病院を一流にしてゆくにはまず、全国でもトップクラスの質を誇れる診療科を一科ずつ整備していくのが近道だと考えたのです。突出してレベルの高い科をつくることで他の科もそのレベルに近づけてゆく、そういう手法を取ったのです。開設したころの心臓血管外科は、バイパス手術が始まったばかりで、どんどん症例が増えて花形になっていきました。私は家族と共に病院内に居を構え、3年間、24時間365日体制で心臓外科の立ち上げに加わりました。しかし時代の流れは速く、現在はパイパスの外科は減少して、かなりの部分が血管内治療に変わっています」
隆明氏は、もう一つの目玉になる診療科も亀田総合病院につくった。それが脳神経外科である。「チューリッヒ大学でマイクロサージャリーの父と言われたヤシャルギル教授の薫陶を受けた江口恒良先生を、脳神経外科の開設のため招聘いたしました。私たちがいつも意識しているのは、時代とともに速いスピードで変わっていく医療に対し、フレキシブルに対応し、常にカッティング・エッジを走っていなければ、自分たちの役目を果たせないのだということです」
(3)へ続く
記事提供:株式会社メディカル・プリンシプル社
2011年8月号より
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- 「恥をかいてもかまわないから
臨床研修中は人一倍、基本手技の練習を」 - 亀田隆明 (かめだ・たかあき)
- 医療法人鉄蕉会 理事長
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1978年 日本医科大学医学部 卒業 同大附属病院第二外科教室 勤務 1979年 順天堂大学胸部外科大学院入学 1983年 順天堂大学医学部胸部外科教室大学院 卒業、医学博士 授与 1983年 亀田総合病院心臓血管外科勤務 1985年 医療法人鉄蕉会 副理事長 2004年 国立大学法人東京医科歯科大学 理事(医療担当)就任 2008年 同大学 同理事退任、同大学客員教授就任、医療法人鉄蕉会理事長就任
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