国民が注視しなければならない医学部新設の落とし穴

2015年6月10日

 医学部が増えるのは、国民の健康を守る医師が増えることなので良いことではないの? ほとんどの一般市民はそう思うでしょう。本当にそうでしょうか?

 医学・医療の質を担保するためには適正な医師数というものがあります。医師不足になると一人あたりの医師への負担が増し、疲弊した医師の「立ち去り型サボタージュ」で病院勤務医の減少に拍車がかかり、医療崩壊に繋がります。また、医師過剰になると、需要を上回る医師の医療参与で医療費の高騰が予想されます。診療報酬改正でこれを抑えようとすれば、病院の収入が減少し、医療機器などの更新や維持に支障をきたし、やはり医学・医療の質低下をきたします。医師過剰を抑制するために、医師国家試験の合格率を下げると、今度は医学生育成に費やされる税金が無駄になってしまいます。

 適正な医師数を保つには医学生の数を適正な数字に調整することが必要です。医師不足が叫ばれ、文部科学省が7年前から医学部入学定員増の政策を打ち出しました。全国の医学部・医科大学がこれに協力してきた結果、現時点では1500余名の増員となっています。これは、15校の新設に値しますが、既存の医学部・医科大学で対応しているため税金はほとんどつぎ込まれていません。しかも、少子高齢化により日本の人口が減少し始めており、このまま医師数が増え続けると近い将来医師過剰時代に突入することは避けられません。したがって、近い将来、医学部定員数を元に戻すことが必要になりますが、その場合でも入学定員削減という手段で対応可能です。

 一方、医学部新設の場合どうなるかといいますと、新たな学舎、設備、教職員などを手当てするための初期投資に加え、その後の維持費に膨大な費用がかかります。新設校で賄いきれない分は、国から補助金(税金に由来します)が拠出されることになるでしょう。しかも、1人の医師を育成するのに1億円かかるとされています。1校(入学定員約100名)増えると年間約100億円の費用がかかることになり、多額の税金が投入されることになるのです。

 しかも、新設医学部の卒業生が一人前になる10数年後には、皮肉にも医師過剰時代に遭遇する結果となります。この時点で廃校にすることはできないでしょうから、適正な医師数を保持する対策も打てないことになり、国民の血税を浪費した結果を悔やむことになるのは明白です。

 医学部新設は2つのテーマで検討されており、ひとつは医師不足の激しい東北地方での新設、もうひとつは国家戦略特区における「既存の医学部の次元を超えた医学部」新設です。

 東北地方では、既に約200名の入学定員増が達成されており、2つの医学部を新設した計算になります。もともと、医師不足は地域偏在、診療科偏在、勤務医と開業医のアンバランスなどの要素も絡んだ問題です。2013年度の地域枠卒業生の定着度を分析することが急がれますが、いずれにしても、新臨床研修制度が産んだ「偏在」の解消策を講じることが先決であると考えます。

 国家戦略特区における医学部新設の提案は、国際医療福祉大学から成田市に申請されています。「既存の医学部の次元を超えた医学部」という提案内容は、国内外のグローバル医療人材育成ですが、これは既存の医学部ですでに以前から広く行われていることです。これを斬新な提案としているのであれば、きわめて陳腐な提案といわざるを得ません。理想に燃えた医学部新設提案とはとても思えません。

 また、医学教育に関して、国際基準に沿った評価・認証を行う組織「日本医学教育評価機構」が、全国医学部長病院長会議の努力で今年度設立され、80医学部・医科大学は認証を受けるべく受審する予定で動いています。このようなグローバルな活動を既存の医学部・医科大学が既に実行し、また実行しつつあることを国民の皆様に知っていただければ嬉しいです。

 医学部入学定員増によって、入学生の学力低下が生じていて、実際、1,2年生の留年が増えています。この傾向は卒業時までには、なんとか持ち直していますが、医学部新設により、入学者数がさらに増えると、増えた人数分は、これまで入学試験の及第点に達しなかった学力の低い学生で占められることになります。

 上記のような理由により、全国医学部長病院長会議は医学部の新設に反対してきました。これは、全国80医科大学・医学部の総意です。同様の反対声明は、全国の医師を代表する日本医師会と123医学分科会の代表である学術団体日本医学会の総意でもあります。すなわち、全国のほとんどの医師が、医学部新設によってもたらされるであろう医師の過剰、医療・医学の質の低下を杞憂しているのです。

 このような状況を国民の皆様にはよく理解していただき、全国医学部長病院長会議が日本医師会および日本医学会と協調して「医学部新設反対」を唱え続けてきた理由が、日本の誇る医学・医療の高い質を担保するためであることをわかっていただければ幸せです。

荒川 哲男(あらかわ・てつお)
全国医学部長病院長会議 会長
大阪市立大学大学院医学研究科 科長
大阪市立大学医学部 部長
大阪市立大学大学院医学研究科消化器内科学 教授
【学歴・職歴】
  • 1975年 大阪市立大学医学部卒業
  • 1981年 医学博士取得
  • 1985年 内科学第三教室講師
  • 1990年 米国カリフォルニア大学アーバイン校内科学客員教授
  • 1993年 内科学第三教室助教授
  • 2000年 内科学第三教室教授。大阪市立大学医学部附属病院消化器内科および内視鏡センターの部長を兼任
  • 2004年4月~2006年3月および2008年4月~2012年3月 大阪市立大学医学部附属病院副院長
  • 2012年4月 大阪市立大学大学院医学研究科長兼医学部長
  • 2014年5月 一般社団法人 全国医学部長病院長会議会長

一般財団法人ものづくり医療コンソーシアム理事長、日本消化管学会理事、日本消化器病学会財団評議員・指導医、日本消化器内視鏡学会評議員・指導医、米国消化器病学会および米国大学消化器病学会評議員。

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